※X(Twitter)では、❝ぴょすこ❞の愛称で呼ばれています。呼び方はご自由に☆
『この星で生きる人たちが、
自分の本質に気付いて
目覚めて生きていけたら
きっともっと楽しい。
だから、
その人の本質に光を当て続ける者で
あり続けたい、
そう想います。』
アロマセラピスト兼ヒーラー兼スピリチュアルカウンセラー(2008年~)。
オリジナルのアロマセッションでは、肉体のエネルギーを入口に、ダイレクトに周波数調整をしていくと共に、人生の変化を加速させるオイルトリートメントを行う。
宇宙意識(広く中立な視点)、真我意識が基本にあり、同時にこれまでの多岐に渡る経験から得た知恵を含んだ対話により構成されるカウンセリングセッションにも定評があり、全国からクライアントが訪れる。
現在は、結婚後移住した群馬県館林市にて
上記オリジナルのアロマセッション、カウンセリングセッションに加え
夫であるカイロプラクターとのコラボセッションを行っている。
◎独自開発してきたもの
○内観(自分の内側と向き合うあらゆること)
○エネルギーワーク、ヒーリング
○エネルギーアロマトリートメント
◎これまで習得してきたもの
〇アロマセラピートリートメント(英国IFA認定アロマセラピスト)
〇様々なエネルギーワーク、ヒーリング
〇レインドロップ
〇アロマタッチ
〇リフレクソロジー(日本リフレクソロジー協会認定リフレクソロジスト)
〇ホ・オポノポノ
<My keywords…心ひかれるもの、こと>
身体の可能性
個性の可能性
精油
コーヒーの香り
麻の肌ざわり
美味しいお料理
食感の楽しいお料理
植物のバイブレーション
海
宇宙のリズム
自然のリズム
エネルギーの微細なもの
おもしろいエネルギーのもの
エネルギーの流れ、しくみ
現実、目の前のこの世界
宇宙の真理
<旅した国…旅がすきです>
フランス、スペイン、スリランカ、オーストラリア、タイ、ベトナム、韓国×2回、台湾、ハワイ(オアフ島×4回、ハワイ島×1回、マウイ島×1回)、グアム。
<経歴>
1.セラピストになる以前の状況
①防御壁に守られた?私
②自分と向き合う入口は、身体でした
③見えてきた自分、聞こえてきた声
2.セラピスト、そしてYutorianオープンへの道のり
<理念・ビジョン>
1.短期ビジョン
2.長期ビジョン
<①防御壁に守られた?私>
私がアロマセラピーなどの自然療法の世界や、心・精神の働き、エネルギーに興味を持ったきっかけは、社会人(システムエンジニア)としてばりばり働いていた頃に訪れました。
当時の私は我慢強く、基本的にまずまわりのことを考え、自分の本心や欲求は飲み込むクセがありました。本心を出さないこと、心の内を見せないことを指摘される、見つかるのも面倒だったので、さばさばした感じで振る舞うことで、距離を取っていたような気がします。(実際のところ境界線はずぶずぶで、さばさばと振る舞いながら、どろどろに振り回されたりしていましたけれど 笑。)
無意識の内に、何重にも防御壁を作っていました。
その防御壁は、一見、外からの侵入を防ぐためのものに見えて、その実、内からの声を塞ごうとするものでした。
内なる声に蓋をしていると、最初は胸の内に「なんとなく違和感」がやってくるのですね。それは本来大事なサインですが、軽くあしらわれがちです。当時の私も、もれなく軽くあしらっていました。
そこで無視されたサインは、「不都合な現実」「辛い現実」「感情の荒波」などに形を変えながら、なんとかキャッチしてもらおうとアピールしてきますが・・・・・やっぱり無視されると、今度は「身体」に、現れてくるのです。
<②自分と向き合う入り口は、身体でした>
身体はもともとタフだった私ですが、社会人3年目頃に、人生で初めて「意識を失って倒れる」ということを経験しました。これまた人生初の「救急車で運ばれる」を体験し、病院で言われたことは、「原因はよくわかりません。」でした。いろいろ検査をしたのですが、よくわからない、と。最後に「今後何度も倒れるようだったらまた来て下さい。」と言われ、「何度も倒れるのいやなんですけど。」と心の中で突っ込みを入れつつ、「はい、わかりました。」とこたえて帰ってきたのです。
倒れたときに腰を痛め、軽いヘルニアのような状態(経験されたことのある方はお分かりと思いますが、うっかり寝返りをうとうものなら、絶叫ものでした。)にもなったのですが、その痛みも(少し時間はかかりましたが)徐々に和らいでいき・・・・・、気付けばまた、同じような生活を送っていました。
数年後、私は自律神経のバランスを崩していったようで、微熱が数ヶ月下がらない、という事態に陥りました。平熱が35度だった私が、常に37.6~9度くらいあるのです。解熱剤も効かず、これは結構、辛かったです。(もともと平熱が37度近辺ならそれほど辛くもなかったのでしょうが、当時の私の肉体にとってはなかなかハードでした。)
脳みそも精神力も体力もフル回転させる必要があるハードワークを毎日こなさなければならないのに、頭はぼーっとするわ、ちょっと動くと息切れするわで、仕事もままなりません。けれど言い訳している暇はないのです、そういうときに限って。というか、こんなことで言い訳をするなんて、誰よりも私が私に許していませんでした。
なんとかしたくて何度も病院に行きましたが、何科に行って検査を受けても「異常なし」。この科に行って異常なしだったらもう、諦めるしかないな・・・・・、と思いながら、もしかしたら何か有益なアドバイスや改善のヒントがもらえるかもしれない、と思い、ある病院を訪れました。
そこでは、あまり説明もないまま受けたことのない検査を受け(この時点で若干のショックを受け)、結局「詳しい検査結果は来週ですが、診たところ問題ないですよ。というより、私にはあなたはすごく健康に見える。肌つやもいいし。あなた健康なんじゃないですか?」と言われました。そして最後に、「何か欲しい薬でもあるの?」と聞かれたのです。
このとき、改善への道筋が何も見えなかったショックと、その医師から投げ掛けられた言葉によるショックで、しばし茫然とするしかありませんでした。今思えば、その医師からしたら、本当に「健康に」見えたのだと思います(笑)。
その頃に、ふと見渡すと同じように「病名の付かない体調不良」に悩まされている女性たちが多く存在することにも気付きました。
「本当の健康って何だろう。」「治るってどういうことだろう。」「薬で症状を抑えることが、治るということなんだろうか。」「症状を抑えても、またそれまでと同じように暮らしていったら、また同じ症状が現れる。暮らしを、生活の仕方を、考え方を、意識を変えていかないと、本当には治らないんじゃないだろうか。」
そんな疑問から、アロマやアーユルヴェーダ、漢方、マクロビオティックなどの、人間をホリスティックに捉え、全体のバランスを取っていくことで、本来備わっている自然治癒力を取り戻していく、というコンセプトの分野に、興味を持ち始めたのです。
好奇心の赴くままに本を読み、講座などに参加し、できることから少しずつ生活に取り入れ・・・・・そうしていくうちに気付けば、「自分と向き合うこと」を、より深く、始めていました。
自然と、自分のバランス、全体像を、客観的な視点から観察していたのです。
今振り返ると、ほんとうに、完璧な流れだなあ、と思います。
流れ着くべくして流れ着いた、意識の転換点。
そして、リズムを感じながら、五感を大切にしながら、生活するようになっていきました。
休めるときは休む、体が喜ぶ食事を選ぶ、自分の心が喜ぶ小さなことをできるだけたくさんする、アロマやハーブの助けを借りる、たくさん笑う、泣きたいときは泣く、怒っている自分を感じる・・・・・。
視点が変わり始めた頃、ほんとうにゆるやかに、微熱は治まっていきました。
<③見えてきた自分、聞こえてきた声>
そうやって自分と向き合い始めて、私はあることに気付きました。
それは、「がんばっているわりに、幸せじゃない」ことでした。(・・・・・・・・!!!)
仕事では、まあまあ良い評価をいただき、順調に出世もしていましたし、お給料もたくさんいただいていました。人間関係も、もちろん悩むことはありましたが、信頼できる素敵な人たちも多かったので、そういう人たちに助けられて、このハードな仕事を続けられているという実感がありました。
しかしそのときの仕事は技術職で、かつ、技術展開スピードの速い分野でしたから、常にスキルを磨き新しい知識も取り込んでいかなくてはなりませんでした。
また、中間管理職的立場でもありましたから、多くの人と関わり、朝から晩まで打ち合わせをし、様々な意見をまとめ、自分より経験のある人たちでも立場上は引っ張っていかなくてはならなかったり。
時に強く主張し、交渉に勝たなければならないけれど、それが口先だけでなく技術的にも正しいものでなければならなかったり。
まあまあ楽しく暮らしていたつもりでしたが、一枚皮をはがせばそこには、疲弊した心と身体がありました。
徐々に業界そのものへの興味も薄れてきていました。
自分にとっての「本当に大切なもの」「大切にしたい考え方」「大切にしたい暮らし」が少しずつはっきりとしてきて、その部分と現実の生活に折り合いが付けられなくなり、
モチベーションをどうやって維持したら良いのか、悩みました。
自分にとって大切でないこと、関心がないことのために、やりたくないことをやっている、という状況で、内面と外界のギャップが日に日に広がってきていました。
恋愛を含む人間関係でも、ただ素直に言葉を発することが、できずにいました。
いかに内側をおざなりにしてきたか、実感せずにはいられませんでした。
毎日がんばっているのに、幸せを感じられないでいました。
お金や社会的な地位、名誉もありました。それらを得れば幸せだよと教えられて育ってきて(それも完璧な、自らによる采配なのですが!)、実際に得てみましたが、虚しさだけがそこにはありました。
心は満たされていませんでした。
そして、そんな混沌とした心の内を、誰にも言えずにいました。
我慢すること、耐えることは得意でも、自分の声を発するということには慣れてなさすぎて、どうしたらいいのかもよくわかっていなかったような気がします。
現実の中で、ぽこぽこと、いろいろな問題が表面化してきて、本当に辛かったとき、私はただ一人で抱えることしか知らなかったし、できなかったのです。
誰かに言って、心配をかけたくない、嫌われたくない。この思いをわかってもらえなかったらまた傷つくから言いたくない。相手を傷つけることもしたくない。
抱えきれなくなって辛いときは、一人でただ泣いていました。
そのうち、思考や感情、時と場所に関係なく、勝手に涙が流れることが増えました。
そのときの涙は、声なき声だったと、思います。
幸せを感じていない自分を発見し、
幸せになりたいという自分の声に気付き、
私にとっての幸せとは何だろうと模索し始め、
変わろうとしていました。
今を見つめ、変わろうとするとき、少しの勇気を出すのは、自分しかいません。
それは真実。
今もそう思います。
だけどここで、私と同じようにストイックなタイプの方に向けて、
あえて注釈を付けたいと思います。
それは、
「一人で取り組むことと同じくらい、他者に頼ること!」
何事も、バランスが大事なのです。
ストイックになりやすい自覚のある方は、自分を追い詰めすぎないように、
自分の「楽」も、ちゃんと確保してあげてください。
たまにはそういう勇気も、必要です。
自分にとって大切にしたいことに丁寧に取り組みながら生きていきたいと思い、また、その職場で自分が学べることはすべて学びきったという感覚もあり、9年半勤めた会社を退職。
会社を辞めたあと、きちんと学びたいと感じていた分野の中でもいちばん、「香り」に惹かれたこともあり、(植物の香りが、ただずっと嗅いでいられるくらい、とにかく好きだったのです 笑。)アロマセラピーを本格的に学ぶことに。
そのときのアロマセラピー業界の中で最も難しそうな資格を取ることにし、最も厳しそうな学校に通うことにする。
スウェディッシュマッサージ実技、アロマセラピーマッサージ実技、解剖生理学、アロマセラピー理論、精油学、コンサルテーション技術、病理学、衛生学、栄養学、フラワーエッセンス、メディシナルハーブなどの300時間以上のカリキュラム、ホームスタディを440時間以上、施術をしカルテを取っていくケーススタディでは延べ100名以上を施術するなどして、1年間かけて勉強し、英国IFAアロマセラピスト資格を無事取得。また、その年のSTUDENT OF THE YEARに選ばれる。
並行して、日本リフレクソロジー協会認定リフレクソロジスト資格を取得。
その後はレンタルサロンや自宅で時々施術をしつつ、経験を重ねる。
そして各種ヒーリングも経験。
オーラリーディング、チャネリング、レイキ、セラフィムブループリント、DNAアクティベーション、シータヒーリング、リコネクション、ホ・オポノポノ・・・・・
自分なりに深めていく。
感情と向き合うワークショップに参加。
ネガティブな感情から目をそらすのではなく、それを見つめ、その奥に隠れている自分の本当の声を掘り出していく。新しい発見の連続であると共に、感じたことを表現し他の参加者と分かち合う、発見をシェアしていくということが、とても進歩。
心・精神と身体とのつながりに興味を持ち、探究開始。
レインドロップテクニック修得。
アレクサンダーテクニークも、体験してみてとてもおもしろいと感じる。
スピリチュアルスクールにてゼロポイント、宇宙のしくみ、脳のしくみ、物理の法則、量子の世界の話と出逢う。
初めて自然療法の本を開いたときのようなワクワク。
それまでの自分の中の概念を一度壊し、思い込みや囚われを認識して手放し、自分の軸を立て直していく。
エネルギーワークの経験も重ねていく。
良質の精油(ミカエルザヤットアルケミストオイル)に出逢い、これも探究開始。
ホ・オポノポノベーシッククラス修了。
東北大震災を経験。
あの混沌から数ヶ月の間、自分を信頼し、今に感謝し、誰か・何かに依存せず自立していることの大切さを、身を持って学ぶ。
(ただ、現在は、依存すらもまたよし、という視点でいることが多いです。)
そして、本当はずっと見守っていてくれた、愛してくれていた存在(家族、友人)に対して、今生かされていることに対して、今身の回りにある環境に対して、ただただ感謝があふれてくる。
この「手」を使って働いていくことを真剣にやっていこう、まずは毎日人に触れられる環境に身を置こう、と決心が付き、とんとん拍子で都内リラクゼーションサロンとの契約が決まる。手技の幅が広がり、店舗運営も学んでいく。1年経たない内に店長を務めることになる。
OSHOメディテーションにて思考の入り込まない世界を体験。
その状態が心地良かったため、自然と日々、意識のクリアリングを進めていくようになる。
2012年5、6月頃、久しぶりの胃腸炎で突然高熱。体の中のもの全部出す。
出し切ったあと、身体の感覚が変わった感じがする。
密度が薄くなり、よりセンシティブに。
何を食べたかによって、即時、感情や体調に影響が出るため、セルフヒーリング、セルフワークでは追い付かず、ニュートラルな他者による調整が必要、と感じる。
そこで空次元セッションと出逢う。
この頃、インスピレーションアロマトリートメントと題し、自分ができることを詰め込んだセッションを都内レンタルサロンにて始める。
2012年8月、空次元(13次元、ワンネス)意識を体験。
2012年10月、16次元意識を体験。
これまでの経験がすべて、自分の中で腑に落ちる。
ソウルのつながりが深い人と、どんどん出逢っていく。
エネルギーワークへの理解が深まっていく。
何をやりに来たのか、何が得意なのか、はっきりしてくる。
自分という個を理解し、同時にそれらすべてが幻想であるということも理解している。
新しい生き方を始めた人が増えていることを体感する機会が増え、そういう方たちのために、自分と同じような経験をしている方たちのために、そして自分のために、ホリスティックアロマセラピーサロンYutorianとしての活動を増やしていくことにする。
(以上、2012年頃までの経歴。)
【1.短期ビジョン】
今、悩んでいる人が、自分とのつながりを取り戻し、自分の声を聞き受けとめる。
自分を信頼し、軽やかに羽ばたいていく。
変化の最中にいる人が、変化に伴う疲れを洗い流して、重い荷物をそっとおろして、また一歩進む。
問題と答え。それはいつも、自分の中にあると気付く。
そのための場所を提供します。
【2.長期ビジョン】
意識がクリアで、調和している、そういう人がどんどん増えていくと、新しい価値観で地球が成り立っていく。
それぞれが個を楽しみ、かつ全として成り立っている。
奪う者、奪われる者がなく、与える者ばかりの豊かに循環する社会が育まれていく。
一人一人も、動物、自然も、地球という惑星が、調和していて、幸せに包まれている。
そこにつながる一助となるように、活動していきます。