(2016年1月6日のツイートより)
我慢体質の裏には 無価値感が潜んでいたりするよね。
私には価値なんてない。
私は無価値でダメな存在だ。
そんなことない、と言うのなら、私の前に私の価値を並べて見せてよ!
そんな想いに、
あの時あの人はああ言ったし、
っていう証拠を探してはくっつけて、
より強固な無価値感を作りあげていく。
自分の「いいところ」を教えてくれそうな
カウンセリングやセッションやワークやらを受けてみたり。
だけど、現実のパッとしなさに心揺れて、
またぐるぐるする。
(ぐるぐるする経験も「よし」だよ。必然だからね。)
これはね、外界に気を取られてる状態なんだよね。
視線が外を向いてるの。
だからこの状態からのブレークスルーポイントは、
『自分に集中すること』
これに尽きる。
これはもういろんな人が言ってることだと思うのですが。
それは、集中しきれない人が多いから、なんだろうね。
あと、何度でも思い出せるように、という采配かもしれない(笑)。
✴︎
自分の身体の奥の奥の奥につながる根っこみたいなところ。
私の場合はそこの声をひたすらに聞く。
聞いたらそのまま声に出す。
時に一人二役かそれ以上(笑)。
ある時ね、
最初はぐちぐちと、しょんぼりと、しくしくと嘆いていた声がね、
ふっ…と何かエネルギーが切り替わって、
突然、
ふざけんな!!!
っていう怒号が溢れてきたんだよね。
(もちろん声に出したよ(笑)。おそろしく低く野太い声でした(笑)。)
お前に価値がねぇわけねぇだろ!!!
いい加減にしろ!!!
と。
燃え盛る生命力(笑)。
私の本質は、私を知ってるんですよね。
こんな感じで出るままに、出す。
ほんとーーーにすっっっきりするまで、出しきるのです。
この、どこまでやるか、は
体感を重ねていくと分かります。
出しきると、
現実が反応して展開してくるから、
とても分かりやすい。
私の場合は、
根っこみたいなところだったり
ハートだったり
その時対話しやすいと感じるところと対話して
声に出したり、代弁したりしますが、
それもどこが正解、というのはないので、
自分がしっくりくる感覚を選べばいいと思います。
実践あるのみ、です。
⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾
✴︎
あ、そうそう。
真理目線で言うとね、
価値はあると言えば全てにあるし、
無いと言えば全てに無い、
のですよ。
これも完全な表現ではないけれども。
だけどね。
明らかに自分という個体が、無価値感を感じているならば、
真理を持ち出して頭で納得して感じていないふりしてもしょうがないんです。
感じていないふりしても「よし」なんだけど(笑)。
現実は「私は無価値」が前提で展開されます。単純に。
それを「嫌だな」と感じる自分があるのなら、
無価値感を「見る」必要がある。
これが、真理で蓋すんな、って話です。
⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾
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