幸せは「成る」ものではありません。
幸せは「感じる」ものです。
と、前回記事で書きました。
「感じる」ことができるのは、
自分の心、身体。感情、感覚。
すなわち内側。
だから幸せを求めるなら、
内側に目を向けよう、と。
内側への目の向け方は追い追い書くとして、
(まあ私は内側へ目を向けることをやり尽くして今があるタイプなので
そういう話しか書けないんですが。)
こういった話が、まったくもってピンとこない人もいるわけです。
内側に目を向けよう、うん、そうだよね~、っていう人がいれば、
はあ?しゃらくせぇな!っていう人もいる。
でね。
それはそれでいいと思うんです、私。
しゃらくせぇな!っていうのも。
意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!俺は俺の道を行く!っていう感じ、
超ありですよね。
迷いがないわけだから、そのまま行ったらいい!と純粋に思うのですよ。
何でもそうですけど、
やり尽くしたら反転して統合するしかないのです。
え、意味わかんないです?(笑)
この世界にはたくさんの「二極」があるんですよね。
男-女、陰-陽、善-悪、内-外、優-劣、抑圧-解放……
一つの方向をほんっっっとーーーにやり尽くしたら、どうなると思いますか?
ぐるんっっって、ひっくりかえるのです。
ひっくりかえって、極なんてそもそもない世界が、見えたりするのです。
これは、何かやり尽くしたことのある人にしか、分からない感覚かもしれません。
「達成する」をやり尽くしてやり尽くしてやり尽くして極めた人は、
「ただ、今、ここに在る」をやり尽くしてやり尽くしてやり尽くして極めた人と、
同じことを語ったりします。
人の「真髄」って、同じなんだな、と思います。
そしてその同じ場所に辿りついた人たちにとっては、
全てが同じことなのです。
達成する、も、ただ今ここに在る、も。
だからね、
何でもいいのですよ。
誰がどんな道を歩もうと、自由なんです。
幸せは「成る」ものではなく、「感じる」もの。
それは、私の体験を通して感じた感覚を言語化したものに過ぎません。
幸せに成ろう、幸せを達成しよう、と考えてはダメだ、という話ではないのです。
ただ、
長年無意識のうちに信じてきた考えのもとに行動してきて、
何かが違う、
思てたんと違ーーーう、
という場合は、
参考になるかもね、って話です。
この世に溢れている全ての話が、そういうことです。
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