良い波動、悪い波動

《過去にメモったまま放置していた文章をアウトプットしとこうシリーズ⑩》

私は、波動が「微細、粗い」などは

状態を表す表現として使いますが、

「高い、低い」はちょっとピンときません。

説明する時に分かりやすければ、便宜上使うこともあるかなあ、というくらいです。

物理的な高低差をイメージしてもらうと、

エネルギーの仕組みを理解しやすい場合があるのでね。

 

波動が「良い、悪い」に至っては、

???????

ってなります。

ま、いいんですけどね、なんでも(笑)。

 

要は、

人生の中で、日常の中で、

波動を意識しようがしまいが

本人の自由なんですよね。

 

その上で、

意識するならば、

「使いよう」だと思います。

 

適材適所はありますから、

こういう時にはこういう波動だとスムーズ、っていう

物理的な働きをうまく使うと、便利です。

人によってはそこに楽しさ、おもしろさを感じると思います。

 

好きで楽しいなら遊べばいい。

そうじゃないなら、

自分が心底楽しい他の遊びをしたらいい。

 

適材適所というのは、

微細なエネルギーがアプローチする領域があれば、

粗めのエネルギーがアプローチする領域もある。

この領域にはこのエネルギーが直接的だね、ということです。

直接的だと、展開が速い。

 

全てのエネルギー領域は重なり合って影響し合っているので、

この組み合わせだとアプローチできない、ということはないです。

ただ、展開が遅いので、

じわじわ浸透している間に他のエネルギー共鳴があれば、

じわじわ浸透していた方は収束してしまうということはあると思います。

 

波動、エネルギーは

何か特別なものではなく、

ただの物理的な振動です。

 

ただただ、それだけです。

 

波動が良くなければならない、

悪いとダメだ、

常に高くないとダメだ、

波動の良いものをたくさん持っているから私は大丈夫だ、

 

そういう囚われがある限り、

 

どんなに「波動の良い」ものを取り入れて、

期待した効果がある程度得られたとしても、

また拭い去れない不足感がやってくるでしょう。

意識の囚われという固着したエネルギーがある限り。

 

正解などありません。

自分の感覚に合うか合わないか。

基準はそこだけです。

 

そしてその感覚は無常です。

変わって然るべきものです。

同じ人でも、微細なものがフィットする時があれば、

粗いものがフィットする時もあります。

 

自分の感覚に従って、

その時その時フィットするものを選べばいい。

ただそれだけです。

 

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